ある日、私はケアマネジャーとしての仕事に喜びと感動を見出していました。利用者の皆さんにデイサービスや施設を提案し、ピッタリの場所を見つけた時の喜びは、まるでチームワークが生み出す笑顔の響きでした。家族や利用者から「頼りにしているよ」「話を聞いてくれてホッとした」と言葉をいただく度に、私の存在が役立っていることを感じ、更なる努力をする意欲が湧き上がってきました。
業務を通じて学んだことは、在宅で看取りを迎える方々の姿勢に触れる機会が多かったことです。ある方はホスピスに行く予定でしたが、急に変更し、家族が介護をすることになりました。二ヶ月間、家族は24時間体制で介護し、週2回の訪問入浴も実現し、その方が望む形で最期を迎えることができました。私は、その家族の献身的な介護を目の当たりにし、深い感銘を受けました。人々の最期の大切な時間に関わりながら、多くのことを学ぶことができました。
私が在宅で働く中で、柔軟に研修を受けることもできました。病気や人生の最期について学ぶことは、私自身の生活にも役立ちました。将来的に親の介護が始まった時に、これまでの経験を活かせるように努力したいと思っています。
一方で、利用者と関わる中で悲しい出来事も経験しました。 ある90代の独居の方は、一人で最期を迎えたいと強い意志を持っていました。突然倒れてしまい、その方の意思通りになってしまいましたが、親族は近くにいながらも駆けつけることもなく、遺体の引き取りも誰も行いませんでした。私はその光景に悲しみと驚きを感じました。その方は、誰にも迷惑をかけずに最期を迎えたかったのかもしれません。私は以前はなぜ家族や親戚が十分に見守らないのかと疑問に思っていましたが、今は専門職としての視点から、個々の事情や価値観を尊重すべきだと学びました。
私はもっと頑張らなければと思うこともあります。介護疲れの果てに家族が犯罪を犯してしまったというニュースを聞くと、心が痛みます。私が関わってきた事業所ではそうした事例は起こっていませんが、男性が働きながら介護をするケースが増えています。しかし、男性はつらさや愚痴を言いにくいと感じているようです。私は近所のおばちゃんキャラ全開で、男性も相談しやすくなるようにしたいと考えています。この仕事ではコミュニケーション能力が重要であり、私はスキルを磨きながら、誠実に対応していきたいと思っています。
また、利用者とは、各々の親の介護について励まし合ったり、話し合ったりすることもあります。もし自分の親が利用者だった場合、どのような介護計画を立てるだろうかと考えることもあります。
認知症の中でも特に印象深いエピソードもあります。 前頭側頭型認知症の方に担当させていただいたことがあります。住み慣れた地域で暮らすことを願い、私たちチームは懸命にサポートしましたが、病気の症状や行動の特異性から在宅や施設では限界があり、結局は入院となりました。一方、アルツハイマー型の方を担当することも多く、明るく元気でユーモアのある利用者がいます。その方は施設内でムードメーカーのような存在であり、一緒にいると笑いが絶えない光景です。私は彼らを見て自問します。自分が認知症になった時、このような場所で笑顔でいられるだろうかと。自身の体を大切にしながら、周りに迷惑をかけずにドリームケアで働けるよう努めたいと思います。
これまでの経験から、私はケアマネ業務において喜びや悲しみ、学びを得ることができました。利用者さんや家族との関わりを通じて、尊厳と人間性の重要性を再認識しました。彼らの最期の時期に関わり、支えることができることに感謝しています。今後も相談員としての役割を全うし、人々の心の軽さに貢献し続けたいと願っています。